衣食住が満たされることだけで人生が豊かになるのではないという考え方は、仏教の根幹に関わります。仏教は、王子であった釈尊が、地位も名誉も財産もすべて捨てて出家したことに始まります。釈尊が出家したのは、地位や名誉や財産など、私たちが求めて止まないものが、移ろい変わっていくものであり、老・病・死の前では本当に頼りとなるものではないと気付かれたからです。ですから、釈尊が課題とされたのは、老・病・死を前にしても私を支えるものは何かという問題なのです。釈尊が修行の先に発見したその「何か」とは、変わりゆく私を言い当てる変わらない真実、つまり、縁起の理法でした。釈尊は、その真理に目覚めたこと(悟り)で、安らかな生き方を手にされ、自分と同じように縁起の理法に目覚めることを人々に勧められたのです。
【阿弥陀経を読む 三浦真証 仏教教育出版 P32より】
「お釈迦さま(釈尊)が課題とされたものは、老・病・死を前にしても私を支えるものは何かという問題なのです。」とあります。お釈迦さまの課題は、我々の課題であり、「私の課題」でもあります。幸い、お釈迦さまは、その課題を解決されました。つまり、お釈迦さまが説かれた仏教を聞くことは、「私の課題」の解決になります。さらに掘り下げまして、浄土真宗の教えに注目してほしい、と個人的に思っています。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏