手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

生かされている私

釈尊は、「縁起」という道理を発見され、それに基づいて「私が生きている」のではなく「生かされている私」であったという、私たちの命の事実に目覚められたのです。今から2500年も前に。これはすごいことだと思いませんか。そういう自己への問いによって、私たちも仏に成るということが、基本となっているのが仏教です。これは他の宗教では、たとえば神の実在を前提とするキリスト教に代表される、そういう宗教では説かれていない教えです。様々な因縁によって「生かされている私」がただ今生きているのであると、そういう命の在り方をキリスト教が誕生する500年も前に釈尊は確認されたという、そこから仏教が始まったわけです。これはやはりすごいことだと思います。
【仏教からみた念仏成仏の教え  小川一乗 法蔵館 P26、P27より】


縁起(えんぎ)
因縁と同義。
「縁って起こること」、あるいは「縁って起こっている状態」の意。
存在に関する普遍的な原理のことで、物事は必ず何らかの原因(因)があり条件(縁)があって生じ存在していることをいう。この考えは仏教の根本真理として位置づけられる。
浄土真宗聖典より



仏教は、神の実在を大前提とするキリスト教等の宗教とは異にします。
ここにもありますように、
釈尊は、「縁起という道理を発見された」
釈尊は、「私たちの命の事実に目覚められた」
釈尊は、「そういう命の在り方を確認された」
という表現からも伺われます。
仏教の基本は、この私が、仏に成る、教えです。
仏教ってホントすごい教えですね。
今日もなむあみだぶつ。



出典:アストロアーツ