人間関係に上手な言葉は必要ありません。大切なのは「うまく話す」ことではなく「やさしく話す」ということです。「人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。人は悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである」
と仏典にもあるように、もともと言葉は刃のようなもの。扱い方を間違えれば、思いもかけず多くの人を傷つけてしまいます。そして返す刃が自分自身も切り刻んでしまうのです。
それを避けるためにも大切なのが「自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ」という心がけです。
相手に合わせてばかりでは、付き合っていくのがつらくなります。本当の自分で付き合っているわけでもないので、いつ破綻するやもしれません。かといって自分勝手に振る舞うだけでは、相手を傷つけるばかりです。相手も自分も傷つけない。そんな心がけが大切なのです。
【老いを生きる 仏教の言葉100 ひろ さちや P202,P203より】
ここで、
「もともと言葉は刃のようなもの」といわれています。言葉も使い様ということになるでしょうか。刃は、物を切ったり、髭を剃ったりする目的で使用すればとても重宝します。一方、殺意をもっている人が手にすれば凶器になってしまうでしょう。このように、言葉には二面性があります。日常生活で何気なく話している言葉ですが、留意して使用していく必要があるなぁ〜と最近よく思います。
さて、
言葉といえば、私において真っ先に出てくるのが、「南無阿弥陀仏」です。阿弥陀さまの命が込められている言葉です。よくよく味わいたい、ものです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏