コロナ禍真っ只中の現在を、真っ暗な長いトンネルな中にいる、というような表現で書かれている文章をよく目にします。こういう場合は、トンネルの先にあるであろう光に向かって突き進むという言い回しは、すごく的を射ています。
では「すでに、南無阿弥陀仏のはたらきの中で生活している私」においてはいかがでしょうか。そのような状況で、光に向かいましょう、という表現はナンセンスです。それは、いま、ここで、わたしに、南無阿弥陀仏のはたらきがはたらきかけていますので、そのはたらきに気付きさえすればそれでよいからです。すでに、南無阿弥陀仏のはたらきにつつまれている状況下で、光に向かう、というのは矛盾のなにものでもありません。南無阿弥陀仏を語る上で、光に向かいましょう、という表現は的外れです。いうならば、光はすでに私に届いているのですから、その光(南無阿弥陀仏のはたらき)に気付くことが大事です。
月明かりに照らされて 感謝 感謝
いま・ここで・わたしが 南無阿弥陀仏
(手品師)