手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

人間駅は乗り換え駅

 

 平安時代に地獄の様子をくわしく説いた源信僧都(げんしんそうず)は、六道をグルグル回るうちにたまたま地獄で仏さまにあう機会に恵まれ、一分間の休憩をもらって人間の世界に生まれてきた、といわれています。

 《人間に生まれた意味は、まよいからさとりへ乗り換えるため》です。乗り換えてどうするのでしょうか。仏さまになって(成仏して)、苦しみ悩む人びとを救います。この世では思うように人びとを救うことができなかったので、仏さまになってお釈迦さまのように人びとを救います。人間の世界に還(かえ)りゆく相(すがた)「還相」をあらわすことは人間の力では不可能ですから、阿弥陀さまのはたらきをふりむけて(回向)いただくわけですね。

【やさしい仏教の話 桜井俊彦 法蔵館 P88、P89より】

 

 まさしく、この世界(人間の世界)は、浄土に生まれるか、再び迷いの世界に戻ってしまうか、分岐駅(乗り換え駅)といえましょう。いま・ここで・私が、南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされる否か、千載一遇のチャンスです。

 南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされている人は、この世で寿命が尽きますと、還相回向のはたらきにより、「浄土で悟りを開いた後、再び迷いの世界(この世界)に舞い戻って、衆生(迷える人びと)を教化する」とご教示いただいています。本当にありがたいことです。

 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

還相回向(げんそうえこう)

(南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされている人は、この世で寿命が尽きると)浄土に往生してのち、再び迷いの世界に還り来て、衆生を教化することとした。親鸞はこれらの回向を本願力回向であるとして、回向の主体を阿弥陀仏であるとした。

【浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)参照】