手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

聞かなければならないこと

ここで私たちが聞かなければならないことは、ただ一つ、それは如来の本願の仰せです
よくお浄土があるのか、ないのか、如来は本当にいらっしゃるのかどうか、それがわからなければ本願を真実と聞くことはできないといわれます。その気持ちはよくわかりますが、しかし、本当のことをいえば私たちは浄土を知る能力もなく、如来を確認する能力もないから、迷っているのです。
それを知る能力があったら、すでにさとっているのです。さとりの領域であるような浄土は、人間にわかるような境界ではないからです。
私たちにわかっているのは、煩悩によって描き出された、好きか嫌いか、損か得か、敵か味方か、生か死かといった、迷いの境界だけです。迷いを超えたさとりの領域は、ただ、仏と仏とだけがしろしめすのです。


親鸞聖人は、そのことを『高僧和讃』のなかで、


安養浄土の荘厳は     唯仏与仏の知見なり
究竟せること虚空にして  広大にして返際なし 
             (『註釈版聖典』五八〇頁)


と説かれていました。


ただ仏と仏とのみ(唯仏与仏)がしろしめす完全なさとりの領域が、阿弥陀仏であり浄土なのです。凡夫はおろか弥勒菩薩のような大菩薩といえども、その広大無辺な浄土の徳相の全貌を知ることはできないといわれているのです。
【本願のこころ 梯 實圓 法蔵館 P90より】


【手品師コメント】
阿弥陀さまの本願の仰せを聞かせていただく以外にありません。