手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

本物が際立ち鮮明になる

 1980年代に宗教史研究を始めた我々は、網野善彦による網野史学の影響を受けた方法で研究を行うようになりました。

 網野先生は、おそらく日本で初めて偽文書を駆使した歴史研究を行った方です。それ以前は、歴史学において偽文書は「危ない」史料であるとして絶対に使いませんでしたが、網野先生の場合は、「偽札があったらその偽札に似たお札が流通していたはずであり、偽札も史料として使いようがある」といった考えで、歴史学の新たな像を切り開こうとしました。

 こうして、偽物だとわかった時点でその史料を投げやるのではなく、史料の位置づけを吟味したうえで、読み取れることを掘り出し、歴史の新たな一面を切り拓く方向へと研究は進んでいます。

【親鸞 浄土真宗の原点を知る 河出書房新社 P3より】

 

 今回は、アプローチを変えての投稿です。偽物であるとわかっても、すぐに切り捨てるのではなく、偽物の背景に何があるのか、を研究することは意義があることだ、と思いました。本物は、偽物とのギャップを研究・調査することで、より際立ち鮮明になると思います

 何が言いたいかと申しますと、同じ「浄土真宗」の看板を掲げていても、本物と偽物が混在している現状があります。それら(本物と偽物)を比べることで、より本物があきらかになるのではないでしょうか。本来の教えにはない「間違い」を見極めたい、ものです。この文章を読んでいて、そのようなことを思いました。

 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏