手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

生きる意味

 

 高松信英先生が、心理学のマンガの本から次のような興味ある話を紹介しておられました。

 中三の男の子が、お母さんに「どうして一流高校へ行くのか」と尋ねた。お母さんは「一流大学に入るために決まっているでしょう」と答えた。また、子どもが「なぜ一流大学に入るのか」と聞くと、「一流企業に入れるから」と答える。子どもは「じゃ一流企業に入ってどうするのか」と尋ねると、「一流企業の重役になれればすばらしいじゃないか」と答える。子どもが「でも重役になっても死んじゃえばね」というと、「それは誰でも死ぬけど、一流の重役で死ねば、お葬式の時、花輪がズラーと並んで盛大なお葬式をしてもらえるよ」と答える。子どもは「ああ、やっとわかった。僕が勉強して一流高校へ入るのは、死んだ時の葬式の花輪をたくさん並べるためだ」といったという。    

 少なくとも、勉強するのは、死んだ時の花輪のためではないでしょう。しかし、ともすると、この親子のようにそうした生き方をして、人生の意味を見失っているのが現代に生きる私たちの姿かもしれません。

【正信偈(しょうしんげ)62講 中村 薫 法蔵館  P13より】

 

この話(青字部分)を聞いて、笑えますか?!  同じ穴の狢 (むじな)ではないでしょうか。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏