手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

真実とは

先生(鈴木大拙)は、テーブルを叩いて
今の聞こえたか? どこで聞いた? といわれたので
私は賢ぶって、耳で聞いたと応えずに「全身で聞いた!」と応えました。
すると、(先生は)
「いやいや、そんなけち臭いものではないぞ。全宇宙が聞いたから、美穂子さん、あんたが聞いたのではないか。真実というものは、〝ここからここまで〟と計れるものではない、それが、無だ」と仰られるのです。
つまり、余すところがない、つかまえる必要もない、というのが無(無限)ということです。
それは、阿弥陀仏のお名前そのものです。
計ることがないという仏さまです。


※ア・ミタ  
ア :梵語の否定を意味する、ミタ:メートル(距離)をあらわす
つまり、計ることがない
【大拙先生とわたし こころの時代 より】



真実は、南無阿弥陀仏ということですね。
つまり、その(南無阿弥陀仏の)はたらきは、余すところなくひとりひとりにはたらいている、ということです。
ですので、わたしから、つかまえる必要もありませんし、つかめるものでもありません。
わたしの計らいを超越したものにおいては、そのものに従うしかありません。
いま・ここで・わたしが、南無阿弥陀仏のはたらきに、気付かせていただく、ということです。わたしの計らい、曲者です
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏