手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

命は個人のものではない

 

命は宇宙から与えられたものであり、私たちが所有権を主張できるものではありません。土地や財産はそうかもしれませんが、命だけは、私に所有権がないのです。命は不思議きわまるいただきものです。そこに生命の尊厳の最深の根源があるのです。これは、宗教家なら当然言わなければならないことです。ところが、現代の生命論は、このことを言わずに、生命の尊厳は自明のこととして所有権の主張だけに終わっています。池田(晶子)さんは、人を殺したくなったら、自分が死ぬと言っています。昔の人は、奥ゆかしく自分が死んだのですが、今は厚かましく他人を殺すのです。人生が嫌になって他人を殺すなんて、筋が通りませんね。だから、生命の尊厳ということは、それだけでは生命を守る根拠としては弱いのです。個人の命が一番大事だというところからは、生命の尊厳は出てきません。命は個人のものじゃないということを知らせなければならないのです。

【科学技術時代と浄土の教え(下)大峯 顯 響流選書より】

 

池田晶子(下記リンクよりどうぞ)

https://tarou310.hatenablog.com/search?q=%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%99%B6%E5%AD%90

 

確かに、私は、自分の意思で、この時代に、この日本に生まれてきたのではありません。また、この風貌で(笑)。まさしく、私は生かされている、といってよいでしょう。ここで、「自分の命は、個人のものでない」といわれています。「なるほど!」少し考えれば納得できます。いま・ここで・私が生きていること自体、超不思議です。阿弥陀さまに、ただ感謝ですね~

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏