手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

大きなものに委ねる

 人が、死を恐れ、恐れるゆえに避けようとするその心性が、元をただせば、人類が大きく道を誤ったことの第一原因なのだが、死を恐れなければならない理由など、本当に、ないのである。
 無は存在しないから死は存在しない、という論理的な理由がうまく納得できない人のために、だからといって、無責任に「死後の生」を保証するわけにもいかない。「死後の生」のことは、私はよくは知らないけれども、しかし、げんに、宇宙は存在するのである。「自分の」存在と無ばかりを考えようとするから、人は恐怖と不条理を覚えるのだが、「自分が」存在しようがしまいが、げんに宇宙は存在すると、げんに考えられるのだから、このうえなぜなお「自分の」生死を憂える理由があるだろう。
 無ければ無いで、無いのだし。
 在ったら、在ったで、それなりに。
 私は最近、もっぱらそんなふうに感じる。どうジタバタしたところで、人間の為すこと考えることは、やはりたかが知れているのである。そんなふうに腹を括って、より大きなものに委ねてしまったほうが、よほど賢いのではないか、幸福なのではないか。
【魂とは何か さて死んだのは誰なのか 池田晶子 トランスビュー P89,P90より】



鋭い考察といいますか感性ですね。
池田さんが存命でしたら、是非、対談してみたい、です。
この文章を読んでいますと、なぜか、南無阿弥陀仏のおはたらきを連想させられます。
今日も南無阿弥陀仏