手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

すでに決着はついている

大峯
だから阿弥陀さまも法蔵菩薩のとき、最初に何をしたかというと、考えたんですね。どうしたら、十方の衆生を救えるかを考えに考えたわけです。五劫の思惟(ごこうのしゆい)、それから永劫(えいごう)の修行です。五劫という無限の時間の思惟が仏さまにも必要だったんです。可能なことを可能にするなら簡単だけど、不可能なことを可能にする方法、仏に成れっこない衆生を仏にする方法を考えつくには、そりゃ時間は要りますよ。
池田
宇宙大の思惟ですね。でもそこから「よっこいしょ」と身を起こしたということがやっぱりすごいですよ。ふつうは考えっぱなしになると思うんですけれど。
大峯
ひたすら考えに考え抜いて、それでついに決着が出たんですね。
池田
決着はでたのでしょうか。
大峯
出たんです。だから阿弥陀仏になったんだ。
池田
どうでしょうか。いや、早まったかもしれませんよ。フライングだった可能性も(笑)。「いやしまった。もうちょっと考えればよかった」とはならなかったでしょうかね。
大峯
いや、それは凡夫である人間には考えられないんだけどね。ほんとうの智慧というものは、必ず決着を得るんだね。決着が得られない智慧はまだほんとうの智慧じゃないんです。
池田
そうでしょうか。
大峯
それは迷いなんだよ。
池田
私には、そこのところがわかりません。何かごまかしていませんか(笑)
大峯
ぼくもずいぶんそこを考えたからね(笑)。
池田
先生はそういうふうに決着したわけですね。そうじゃないですか。
大峯
いや、その決着は、宇宙がぼくにくれたんですよ。ぼくのほうでは決着できなかったけど、決着がぼくをとらえたんです。ぼくのほうからは帳尻が合わなかったんです。でも、もっと大いなるもののほうが帳尻を合わせてくれた。ぼくの側は何も整頓できていないのに、整頓できたのは向こうの力です。とにかくそういう意味で決着がついた。ぼくは今、安らかです。
池田
そうですか。私はまだそこのところわかりません。まだそこのところを保留しています。
大峯
そんなに簡単に決着してもらったら、教組さまだ(笑)。
池田
だって、もっと歳をとれっていうんだもの(笑)。
大峯
でも、もっとその状況を分析して、あなたの文章で言ってもらったら、今日の一般の人は勉強になるでしょうね。
池田
さっき先生のいわれた「不可能なことを可能にする」ということ。まさしく絶対矛盾なんですけれど、これがいわゆる信仰ということでしょうか?
大峯
いや、これは仏さまの仕事のことを言っているんですね。助からないものを助けたいと、仏さまが思ったんです。そのために、五劫という無限な時間をかけて考えた。それからまた兆載永劫の修行をやった。その結果、衆生を助ける方法を発見したわけですね。自分が修行した功徳を名号の中に込めて衆生に与えたら、つまり衆生の名を呼んだら、衆生は必ず眼を覚ますはずだとわかった。だから南無阿弥陀仏という名号は、衆生の名を呼んでいる仏の声なんですよ。「本願召喚(ほんがんしょうかん)」の勅命だと親鸞聖人は言っています。それだけが衆生を助けるただ一つの方法だということが、仏の智慧はわかったんですね。
【君自身に還れ 知と信を巡る対話  大峯 顕 池田 晶子 本願寺出版 P155〜P158より】



阿弥陀さまのほうでは、すでに決着がついています。
ですので、わたしは、それに従うだけです。
つまり、いま、はたらいている南無阿弥陀仏に気付くだけなのです。
今日も阿弥陀さまと対話です。
なもあみだぶつ