手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

他力の教え

【原文】
すべてよきひとあしきひと、
たふときひと
いやしきひとを、
無礙光仏(むげこうぶつ)の御(おん)ちかひには
きらはずえらばれず、
これをみちびきたまふを
さきとしむねとするなり。

【唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)】


【現代語訳】
善い人も悪い人も、
尊い人もいやしい人も、
阿弥陀仏は嫌わず、
分け隔てされることもなく、
導くことを第一とし、
根本とされているのだ。
【唯信鈔文意】


【解説】
 法然聖人の門下の僧・聖覚(せいかく)。彼が著したのが『唯信鈔』だ。聖覚を尊敬していた親鸞が、より人々にわかりやすく伝えるようにと、注釈を加えたものが『唯信鈔文意』と呼ばれる。
 そのなかでも親鸞は、阿弥陀仏の本願について触れている。どんな人であれ一切区別なく救うのが阿弥陀仏なのだと。いい回しは違えど、親鸞はこの言葉を生涯くり返した。他力の教えはシンプルであり、ピュアでイージーだ。しかし、真にこの道を歩むことは簡単ではない。これを親鸞は難信と表現している。
親鸞100の言葉 [親鸞の言葉43]善人、悪人の区別なく 釈 撤宗 宝島社 P98、P99より】



ここでもありますように、他力の教えはシンプルです。
南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされるか否か、ふたつにひとつです。至ってシンプルなのです。しかしながら、あまりにもシンプルすぎて難しい、のでしょう。
私の日課はジョギングです。いつも同じコースを左回りに走ります。ある日、全く同じコースをいつもの逆回り(右回り)で走ったところ、景色が全く違うことに驚きました。全く同じコースでありながら、180度方向を変えただけで全くの別世界なのです。
このことは、南無阿弥陀仏のはたらきに気付かせて頂くことにおいても同じようなことがいえる、と思います。コペルニクス的転回の発想(視点)は非常に大事なことです。
自分ワールドからの脱却、視点は阿弥陀さまに。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏