手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

「現代人の不幸」の原因

以下、哲学者である三木 清の言葉です。

『幸福について考へることはすでに一つの、恐らく最大の、不幸の兆しであるといはれるかも知れない。健全な胃をもつてゐる者が胃の存在を感じないやうに、幸福である者は幸福について考へないといはれるであらう。しかしながら今日の人間は果して幸福であるために幸福について考へないのであるか。むしろ我々の時代は人々に幸福について考へる氣力をさへ失はせてしまつたほど不幸なのではあるまいか。幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのやうに感じられるほど今の世の中は不幸に充ちてゐるのではあるまいか。しかしながら幸福を知らない者に不幸の何であるかが理解されるであらうか。今日の人間もあらゆる場合にいはば本能的に幸福を求めてゐるに相違ない。しかも今日の人間は自意識の過剩に苦しむともいはれてゐる。その極めて自意識的な人間が幸福については殆ど考へないのである。これが現代の精神的状況の性格であり、これが現代人の不幸を特徴附けてゐる。』

【人生論ノート(幸福について)三木 清  青空文庫より】

※無料(人生論ノート:Kindle版)でダウンロードできます。

 

日本を代表する哲学者の一人である三木 清の文章(言葉)です。昨年、生誕120年を迎えたとのこと。48年と短い生涯でありましたが、多くの著書を残しています。ここで、採用した三木の言葉は、「現代人の不幸」の背景について鋭い視点で指摘しています。とても考えさせられる内容です。よい表現が思い浮かびませんが、この三木清の言葉を紐解くと、生きる意味といいますか、そのヒントがあるように思います(漠然とした表現で申し訳ありません)。

以下、切り口を変えての個人的な感想です。

「自意識過剰」はあらゆることに対してハードルになっているように思います。南無阿弥陀仏のはたらきを語る上でも然り。また、超越的なモノにおいては、素直に委ねる姿勢が大事であるなぁ~と、あらためて思いました。