「私と仏」の間に「と」がある。その「と」がはずれる。南無阿弥陀仏
【松並松五郎 念佛語録より】
これは、先日紹介(タイトル:垣根がない関係 ※1/20投稿)した、松並松五郎(念佛語録より)の言葉です。少し掘り下げてみたいと思います。
ここでいう「と」は、疑いの蓋(ふた)です。
阿弥陀さまと私を遮っている蓋(ふた)です。この蓋(ふた)がある限り、阿弥陀さまと私は融合することはありません。「と」が外れたとき、一心同体 南無阿弥陀仏となります。つまり、私が、南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされると、「と」は無くなります。たかが「と」ですが、されど「と」です。見た目は単なる「と」ですが、かなりの曲者です。
疑蓋(ぎがい)
蓋はおおうの意で、真実をおおいかくす疑いの心のこと。親鸞は、疑いが雑らないことを「疑蓋無雑(ぎがいむぞう)」といい、他力信心を表す語とする。
※浄土真宗辞典 P112より