手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

時間へのとらわれからの解放

 国立長寿医療研究センター総長だった大島伸一郎氏のインタビュー記事に「高齢者医療では客観的な事実や統計に基づいた医療の確立はもちろんですが、それ以上に人間的な側面からのアプローチが求められます。人生ではっきりしているのは『自分の意思で生まれてきたのではない』と『いつかは必ず死ぬ』の二つです。人生は山あり谷ありの道程のなかで自分はいったい何のために生まれてきたのかを追求する作業であり、幸福な一生とは、幕が下ろされる瞬間に『ああ、生まれてきてよかった』とつぶやけることではないでしょうか」とあります。
 生きている時間の長いことが良いと考える、時間へのとらわれがあると、95歳のおじいちゃんにお孫さんが「おじいちゃん、あと5年は生きて、100歳まで生きてね」と言ったら、おじいちゃんが「たった5年か」と答えたという話があります。相対的な時間の長さを追求する限り、満足な時間はないでしょう。
 世間の常識で幸福への条件のプラス・マイナスを考えるとき、「老いる」ことはマイナス、「病む」こともマイナス、「死ぬ」こともマイナス、つまり、すべての人間は不幸の完成で人生を終わるという社会が素晴らしいと言えるでしょうか。いや、そうだからこそ医療が「不老・不死」をめざして頑張っているのかもしれませんが。
 仏教は生きている時間の長い、短いにとらわれないで「今」「今日」の充実をめざす教えです。教えの内容をたずねていく歩みの中で、教えの大きさに触れて、自分の愚かさを知らされ、仏の世界を感得するとき(永遠、無量寿と通じるとき)、自然と知足(足を知る)へ導かれるのです。
 その大きさ(仏、宇宙)に圧倒され、人間に生まれてよかった、生きてきてよかった、出遇うことができてよかったと感動を持って「今」「今日」を生き切っていくのです。そこでは主体性を持ちつつ、大いなるものへのおまかせを生きることになるのです。
【医者が仏教に出遇ったら 田畑 正久 本願寺出版 P91〜P93より】
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「大いなるものへのおまかせ」
直接的にいいますと、阿弥陀さまにおまかせ、ということです。
つまり、(阿弥陀さまの)南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされた生活ということです。
相対的な時間の長さを追求することから解放された生活ともいえます。
そこには、大安心があります。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



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