手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

「南無阿弥陀仏」という言葉

 

「南無阿弥陀仏も人間がいっている言葉ではないか」といっているようでは、これは南無阿弥陀仏を信じていないことになります。南無阿弥陀仏を信じていないということは、仏を信じていないということです。仏を信じていないということは、自分の力を信じていることですから極楽へ往生できないということです。これは実に真剣な問題です。「南無阿弥陀仏は、わしがいうとることや」などと思っている人は、極楽往生できませんよね。南無阿弥陀仏というのは、仏自身が自分をいっている言葉なのです。その名告(なの)りが、私に反響しているのを南無阿弥陀仏の称名といいます。私の方からいくら仏を呼んだところで、仏さまには届きません。名号は仏の方から、私を呼んでいる言葉です。それが私という存在にあたって、こだましている。それが南無阿弥陀仏を称えることなのです。南無阿弥陀仏を称えるということは、私と仏が一体である姿ですから、私は必ず仏になるのです。

【今日の宗教の可能性 大峯 顯 百華苑 P 127より】

 

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この短い文章に、「南無阿弥陀仏」という言葉が8回もでてきます。「南無阿弥陀仏」についてあらためて確認させていただきました。

阿弥陀さまと私は、「南無阿弥陀仏」という言葉で繋がっています。一心同体 南無阿弥陀仏の人は、人としての寿命を終えると必ず仏になるのです。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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