手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

空っぽ

信心といいましても空っぽです。
ですので、自分から(信心を)獲りに行っても獲れるはずもありません。
信心獲得(しんじんぎゃくとく)と聞きますと、自ら何かの物体を取りに行く、と想像しがちですがそうではありません。最近の聴聞や書籍においては、南無阿弥陀仏のはたらきに気付かせて頂く、という表現が多く使われます。これは、信心は空っぽである、ということを示している表現とも捉えることができます。南無阿弥陀仏のはたらきは、いま・ここで・私に、はたらいていますので、(私は、いま、ここで)そのはたらきに気付かせて頂く、ということが大事なってきます。言い換えますと、阿弥陀さまにただおまかせ、ということです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



空っぽ(金欠)