手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

私の基準って?!

 実は私たちは、親鸞聖人のおっしゃるように、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」としかいえない立場なのです。善悪など私たちにはわからないのです。本当の善というものは「如来の御こころ」にあります。(略)
 ところが、残念なことに、私たちは「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界」の存在であって、愚かな人間であり、とても「如来の御こころ」と同じような善悪を知ることのできるような存在ではないのです。私たちのやっていることは「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなき」としかいいようがないと見限っておられます。(略)
 今、私たちは発想を大きく転換する必要があるのではないかと思います。これまで善悪や損得を考える基準としてきたあらゆる価値観に、少しばかり批判的な目を向けてみる必要があるのではないでしょうか。私たちには特段の根拠もなく信じ込まされた分別の基準があります。この「常識」が一度覆されてみないことには、真に出遇うべきものがみえてこないように思えます。
【非常識のススメ 真宗教育シリーズ 浅野 玄誠 真宗文庫より】



生死問題の解決において、私の常識や価値観でなんとかなるものでしょうか?
よくよく考えてみたいものです。私の思い込みや計らいの堂々巡りに進展はありません。
ここでも述べられていますように「発想の転換」が大事です。今一度、客観的に自分を見つめ直すこともよいかもしれません。私の基準まかせは曲者です(笑)。阿弥陀さまの基準に依りたいものです。つまり、阿弥陀さまに「ただおまかせ」あるのみです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



私の基準(ものさし)