手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

聴聞の振り返り(常例布教:築地本願寺)

本日の東京は夏でした(暑)。先月に引き続き、常例布教(築地本願寺)に参加いたしました。1座と短いご縁でしたが、定期的な聴聞はよいものです。心のリフレッシュになりました。聴聞を終えて、個人的な思いや感想を織り交ぜて箇条書きにしました。



・自分最高、自分のことが第一、これぞ、私に真酔なり(笑)
・自分大好きの自分中心人間、何を隠そう、この私なのですが、そんな自覚はサラサラありません。そう言う私の開き直りもほどほどに(笑)
・阿弥陀さまは立っておられる。いま、溺れている者をすぐに助けるため、のんきに座ってはおりません。阿弥陀如来像の通りです。具現化されています。
・阿弥陀さまの「必ず救う!」というお誓いなので、私は救われます。仏語に虚妄なし、ですね。阿弥陀さまが発せられた言葉は次元が違います。大変力強いお言葉です。
・広島では、聴聞にいく、という表現が多いとのこと。さすが安芸門徒、違います。
・我々は、3つの銘柄に酔いしれている。貪欲、瞋恚、愚痴という・・・。
・私の迷いを破ってくれるのは、阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきなのでした。
・私の口から、南無阿弥陀仏のお念仏、阿弥陀さまのなせる業なのです。
・浄土真宗の教えは、こちら(わたし)から、お願いする、という教えではありません。そんな教えはほかにはありません。凄い!
・浄土真宗の教え(阿弥陀さま⇒わたし)は、他の宗教と方向が正反対。他力といわれる所以です。
・迷っていることの自覚もない者が、どれだけ頑張っても生死問題の解決はありえません。阿弥陀さまにおまかせあるのみ。
・南無阿弥陀仏のはたらきは、このいま、はたらいていますので、このいま、そのはたらききに気づかせて頂くことが大事です。
・「また会おう!」と今生のお別れができればお互い万々歳です。
・聴聞において、付き合いや、ただの義理でいく人をみて、なんと勿体無い、というのもわかりますが、阿弥陀さまの計らいは測り知れません。その人その人に応じてうまい具合にお育てになられているのでしょう。そのような私の計らいは、余計なお節介かもしれません。



撮影:平成30年4月22日(日)