手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

他力本願

 たとえば、善根功徳(ぜんごんくどく)を積むこと、修行に励むこと、数多く念仏に勤しむことなどが問題とされるようになっていった。本来ならば、極楽に生まれさせることを手段として、無上涅槃という目的を実現させようとする。これが阿弥陀如来の本願であるから、極楽への往生は阿弥陀如来の側の願いであって、私たち人間の側の努力によって実現するわけではない。これが他力本願ということの本質である。
 他力本願ということが世間では誤解され、何の努力もしないで、「果報は寝て待て」という意味に用いられるのがつねである。言うまでもなく、そういう意味ではない。阿弥陀如来の側から私たちにかけられている願いが本願であるから、それは他力である。他力本願と称する所以である。
【親鸞が出遇った釈尊 浄土思想の正意 小川一乗 真宗文庫より】



ここでもありますように、
世間一般的に『他力本願』という言葉が誤用されています。「果報は寝て待て」とか「棚から牡丹餅」的な意味ではありません。仏教用語ですので、それに従うべきです。



  WikiArc(他力)より
  http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BB%96%E5%8A%9B


 他力=阿弥陀仏の本願力(手品師ブログ) 
 http://d.hatena.ne.jp/tarou310/20141026#p1