手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

伝播 「あっ、ゾウさんや!」

 幼稚園の子どもたちを連れて、動物園を訪れた経験があります。幼い子どもたちの集団を後ろから見守っていると、子どもたちの見える範囲が大人に比べて少ないためなのでしょうか、自分のごく身近な周りしか見ていない子がほとんどであります。
 そのせいで、歩いて行く少し先に、大好きな象が繋がれていることになかなか気づかないのです。大人には、随分手前から、足を繋がれ園舎の外に出ている象が見えるのですが、幼い子どもたちはまったく気づかずに歩いています。
 やがて、ごく近くまでやってきて、一人の子どもが気づきます。気がつくやいなや、その子はものすごく大きな声で、
 「あっ、ゾウさんや!」
と叫ぶのであります。自分よりはるかに大きい象を見た幼い子の感動が、「あっ、ゾウさんや!」という声となって現れるのです。そう考えると、声を出しているのはその子どもに違いありませんが、その声を出さしめているのは象の偉大さといってよいのではないでしょうか。
 仏さまの名前を口にする南無阿弥陀仏の念仏も、声を出しているのは紛れもなく自分でありますが、声を出さしめているのは、実は仏さまの偉大さや慈しみの心に他ならないのです。親鸞さまのいう他力の念仏とは、仏さまのはたらきに催されたものなのであって、決して自分の善根ではないのです。
 ところで、最初の子が
 「あっ、ゾウさんや!」
の声を聞いた他の子どもたちは、一斉にキョロキョロして、ゾウを探し始めました。そして、それらの声は、いずれも象の偉大さがいわしめていることに変わりはありません。
 一人の念仏の声は、他の人々の念仏を生み出すことになるのです。そして一つ一つの念仏はいずれも仏さまのはたらきによって、催されたものなのです。
【白き蓮華のひらく刻 森田真円 本願寺出版社 P56〜P59より】



阿弥陀さまを、大きな象さんに
念仏(南無阿弥陀仏)を、「あっ、ゾウさんや!」という子どもの声に
喩えて説明しています。非常に分かりやすい喩えです。


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今日も 勇んで念仏を称えます 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏


いさみの念仏
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