(法然聖人門下が)京都の街々に出て教えを説く、特に威勢のよい人たちは、専修念仏のよさを強調するあまり既成仏教の悪口を言いふらすようになりました。そのため、天台宗や真言宗その他の教団から憎まれるようになりました。また念仏さえ称えれば救われるということで、戒律を無視したり、風紀上問題だと社会一般の人たちに思われるような行動を取る者も現れたようです。念仏の会は、夜に行われることが多かったようで(昼間は皆、働いています)、そのときに声のきれいな若手の僧がもてはやされ、これまた風紀問題に発展することもあったようです。
信仰の新しい勢力が盛り上がってくるとき、だいたい教学より、社会秩序を乱す、風紀を乱すとして叩かれることが多いのです。これは世界史的に共通しています。教義論争では、結局のところ解決にならないのです。それぞれ、信じているのですから、理屈で動かされるわけではないのです。
【恵信尼 今井雅晴 法蔵館 P55,P56より】
「念仏さえ称えれば救われる」
誤解がないようにいいますと、(南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされ、報恩感謝の)念仏さえ称えれば救われる、ということです。
自分が深く信仰しているものにおいては、どんなに理路整然とエビデンスを提示されてもなかなか受け入れられるものではないでしょう。現状、理屈ではない部分がおおくを占めます。「ご縁」というものをもっと大事にしたいと思います。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏