手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

南無阿弥陀仏の人

 お葬式は、浄土に向かって、そして仏さまに成る最後の仕上げなのです。そういう仕上げに向けて生きていくような生き方を、私たちは今この場で、「なんまんだぶつ」を申していくということの中で、一歩一歩、歩んでいるのです。仏に成るという大仕事が完成するかどうかは、今は気にしなくてもいいのです。名前さえ忘れなければ、誰かがちゃんと導いてくれるし、気が付いてくれるし、迎えにも来てくれるのだと。そういう生き方を自分自身が今ここからしていくということです。そうでない限り、いろいろなことに迷ってしまいます。そういう迷いの生き方をしていくしかないけれども、どう迷ったって、どう苦しんだって、私は仏さまに成っていくのだと。浄土に往って、仏さまにしてもらうのだと。
 そういう生き方をしていく人たちが、「南無阿弥陀仏」の人たちなのですね。そのことに気が付いた人たち。「あなたもそうか。あなたも往こうとしているのですね」という目で、念仏をしている人を見ていくことができたときに、大変心強くて頼もしい人たちに囲まれて生きているということになります。
 だから、お葬式のときに「なんまんだぶつ」が聞こえないようになってきたのですけれども、まことに心もとないのです。いくら「念仏申しましょう」とお説教をしても、みなさんなかなか念仏しないのです。
南無阿弥陀仏の葬儀  藤場 俊基  サンガ伝道叢書より】



まずは、南無阿弥陀仏のはたらきに気付かせて頂く、ことですね。
あとは、阿弥陀さまにおまかせ。なるようになります。
南無阿弥陀仏の人にとって、葬式は浄土参りの門出なのです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏