真宗の信心は、お浄土へ参らしていただけるほどの広大なものであるから、しっかり聞いて、まちがいないという決定の信のえられるまで聞くのであるといえば、無茶苦茶になる。
とても広大な信であるから、真剣に聞くのである、たとえ聞いても一遍には出来ないから、永い間聞いて、お助けのこころがいただかれたのが信心決定であると言えば、これは間違いである。
相対の私から絶対へは求めることはできないが、絶対から相対の者へは自由自在に救うことができる。これが真宗の立場である。
【真宗の信心 加茂仰順 探究社 P11,12より】
浄土真宗は本願力回向の教えといわれますように、
阿弥陀さまから私へであって、私から阿弥陀さまへ、ではありません。
流れ(方向)は、絶対から相対であって、相対の者が絶対に到達することはどうあがいても無理です。遅かれ早かれ、力尽きてしまうのは容易に想像できます。
川の流れに逆らって突き進むより、舟にでも乗って川の流れにまかせることほど楽なことはありません。
絶対のもの、つまり阿弥陀さまにおまかせする、至って自然の流れです。
慈光の中 今日も 南無阿弥陀仏