手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

弥陀のご廻向

 今度の往生のことは、如来が私に先だって、どうぞ助けてやりたいと願いをもって、私に向かっていて下さるのです。その御願いに向こうて、どうぞこのようにしてもらいたいと願う筈はない。
 わが身の迷いを出る道も知らず、流転(るてん)の苦しみも知らず、迷うている者を、如来の方より、どうぞ助けてやりたいと願いをたててあられるから、私の方は左様なら、あなたの御心におまかせ申しますと信順するほかはないのであります。これが正しい。
 私の願いは自力虚仮(こけ)であって捨てものであります。だから、どうぞ助けたいの如来の御心にしたがいたてまつり、左様なら御助け候へと打ちまかせたところが安心であります。私の方からどうぞのねがいの心は、みじんもありません。
 そしてまた如来のどうぞ助けたいの願いに、私がどうぞ助かりたいのねがいがあれば、どこまでも往生におちつき定まることはできません。
如来は、ながい間心をこめて一念一刹那(いちねんいっせつな)もどうぞこの私に心配させぬ。どうぞ助けてやりたいと思召されています。それにどうぞ助けて下さいと私の心を出せば、如来のどうぞの心にかなうことはできません。
 当流は南無阿弥陀仏さまが、私の上にあらわれてくださるばかりであります。
【名号不思議の信心 加茂仰順 百華苑 刊 P17、P18より】



浄土真宗は本願力回向の教えといわれます。
深川倫雄 和上は、片道であるぞ、
また、先人は、一方通行の仰せ、という表現でご教示くださいます。
この書籍のむすびに、
『要するに親鸞聖人のおさとしくださった真宗のみ教えは、このわたくしがただ今から本当に救われてゆくということを明らかにされたものであります。しかもその救いのかなめは、「仏のかたより」ということ、すなわち弥陀のご廻向であります。み教えはこれによっておしなべられていますから、この思召を聞き得なければしかたのないことであります。そして、このみ教えを正しく伝持されているのが宗門であります』 とあります。
つまり、方向は、阿弥陀さまから私であって、私から阿弥陀さまではありません。この点は、浄土真宗の特徴であり、他の宗教と異にします。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



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