手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

迷 信

 たとえば病に遇ってもこの自らの病の理由を他に求め、死霊のたたりとか、悪魔のたたりという。科学文明の高度に進歩した現代でも自らの運命を支配するものを他に求め、悪霊のたたり等を現代人にも問題にしている人をみる。宗祖(親鸞聖人)は「化身土巻」ではインドの外道と中国の道教をその批判の対象として出されている。特に道教による呪術思想は現在も尚わが国の民衆に浸透している。即ち陰陽五行説はいかに現代科学が進歩しても科学者自らもそのとりことなっているものもある。即ち日の吉凶、方位の可否等は庶民の中に浸透し、これらの迷信はすべて道教思想によるものである。その根底となるのは太陽を廻る惑星を古代中国人は木、火、土、金、水の五つの星によって占う陰陽五行説による。しかし十八世紀までに惑星は天王星海王星冥王星、地球と四をプラスし、九つとなる。それ故、従来の計算を改めて九つの星によって占うのが当然である。しかるに現今も同じように五つですべてのものを占う占い基準ともいわれる。すべてを科学的にみんとする現代人にこれほど矛盾した迷信はあり得ない。これによってすべての人生の吉凶を占う習性は何ら変化もない。特にこの付属品ともいうべき六曜説は現代科学の最尖端にたつ科学技術による関西空港や明石の大橋にも大安吉日を開港日に選んでいたのである。それ故、迷信はいかに科学が高度に進歩しても消えないことは現実そのものが実証している。
 このような迷信は理性の未分化の時、即ち幼少の時代に耳に入ると、生涯その枠から離脱出来得ないといわれる。この意味において母親の教育、しつけが最も重要である。たとえば現在の有名人の一人、福沢諭吉翁においては、迷信は徹底的にきらいであったといわれる。彼は母親お順という方が浄土真宗の熱心な信者であったからである。これに対し、今次の戦争の連合艦隊の司令長官であった山本五十六提督は縁起かつぎから脱出出来得なかったといわれる。彼の母は真言宗の生れで、迷信占いのとりことなった人であったといわれる。現代の科学がいかに進歩しても迷信占いを除く術は見当たらない。ここに御念仏の法に遇うとあたかも農家が農薬を蒔くと、田の草が枯死するが如く、迷信は消えるのである。即ち現代科学の解決出来得ない壁をこえていく道が開かれているのである。
親鸞聖人の宗教批判  稲城選恵 著 永田文昌堂  P16~P18より ※一部略、改編 】



迷信・占いは、日常生活に、すっかり溶け込んでしまっているのが現状です。
例えば、わたしが、仕事でいつも利用するホテルには、ルームナンバー4・9の部屋はありません。その他、初詣・しめ縄・厄払い・名前の画数の拘り・七五三・手相・結婚式の日にち、早朝番組の星座占い等、いくらでも挙げることができます。
「どれだけ科学が進歩しても心の隙間は埋まらない。つまり、本当の心の安らぎはない」ということの裏返しともいえましょう。


最後に、
正像末和讃親鸞聖人)から紹介します。



かなしきかなや道俗の
 良時・吉日えらばしめ
 天神・地祇(てんじん・ちぎ)をあがめつつ
 卜占祭祀(ぼくせんさいし)つとめとす


【現代語訳】
悲しいかな、いまの世の僧侶も俗人も、目先の欲望を満たすために日時の善悪吉凶を選び、現世の幸せを与えるとされる天の神、地の神をあがめ、占いや祀りでもって幸福を得、災いを除こうと努めている


今日も南無阿弥陀仏