手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

南無阿弥陀仏の親に遇う

南無阿弥陀仏で  親を知り
南無阿弥陀仏の  親に遇い
南無阿弥陀仏と  二人連れ


 二〇一六年十月一日、「伝灯奉告法要 」の初日に御門主が発布された御親教には、私たち宗門の人々が目指すべき「念仏者の生き方 」を示されています 。この御親教は、あらためて私たちに「浄土真宗の念仏者 」とはどのような者のことをいうのか、と問いかけられたものと私は受けとめています。
 それについて思い浮かぶのが、生前、梯實圓先生がよくおっしゃっていた 「私たちの人生にとって一番大切なことは、親鸞聖人が出遇われた阿弥陀さまに出遇わせていただくことです 」というお言葉です。
 親鸞聖人は「南無阿弥陀仏 」の六字のお心を、「本願招喚の勅命(願いをもって私たちを招き、喚びさまされるみことば)」であると示されました。そして、その声に喚びさまされ、「あなたの仰せにしたがいながら、この人生を生きていきます 」と阿弥陀さまにおまかせしていることを信心といわれたのです。
 こうして、「南無阿弥陀仏 」とお念仏するところ、阿弥陀さまと私との間に対話の回路を開いてくださったのが親鸞聖人であり、蓮如上人であると梯先生は教えてくださいました。九州の布教使が作られた「念仏子守唄 」(五木の子守歌の替え歌 )があります 。


おどんがお父さんは 南無阿弥陀仏
おどんがお母さんも 南無阿弥陀仏


もろたもろたよ 六字の智慧を
愚痴が感謝に かわる智慧


おどんが笑うときゃ 阿弥陀様も笑う
おどんが泣くときゃ 弥陀も泣く


夜半の寝覚めの 南無阿弥陀仏
つれてゆくぞの おやの声


あゆは瀬に住む 小鳥は森に
わたしゃ六字の うちにすむ


 一人一人が「南無阿弥陀仏で親を知り、南無阿弥陀仏の親に遇い、南無阿弥陀仏と二人連れ 」の生活をしていきたいものです 。
【親によばれて  南無阿弥陀仏の親に遇う (119号)藤澤信照 響流書房より】



阿弥陀さまと私との間に対話の回路を開いてくださった親鸞聖人、蓮如上人は以下のようにご教示くださっています。


「弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなふべし」(親鸞聖人)


「かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり」(蓮如上人)


一心同体 南無阿弥陀仏
寝ても醒めても 南無阿弥陀仏
阿弥陀さまと共に歩む人生は格別です。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏