手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

お念仏

 一生懸命念仏するというような言い方は浄土真宗にはありません。お念仏には一生懸命もいい加減もありません。お念仏というのは如来様自身の行を行ずることであって、自力の行じゃないからです。お念仏一つと言っている人でも、どこかにまだ、自分がしているというふうに思っていて、つい心から念仏するとか真面目に念仏してとか言ったりすることがあります。「今日は心を込めてお念仏させていただきました」なんていうのは、自力のはからいを告白しているのです。お念仏に凡夫の心なんか込められません。お念仏を自分の思い通りにしようなんて無理な話です。お念仏は私たちが汚すこともできないし清めることもできないのです。凡夫が何と思おうが、お念仏はいつまでもまっさら清浄です。
 (歎異鈔)第十条にありましたように、念仏は「不可称不可説不可思議」であります。
【『歎異抄』第十一条 誓願か 名号か 大峯 顕 百華苑 P46、P47より】



「世界平和を祈ってお念仏しましょう!」なんてことを聞きますが、まったく頓珍漢といいますか、次元が違うことを謳っています。法然聖人、親鸞聖人が聞かれたら、「なんだかなぁ〜」と、きっと嘆かれることでしょう。とても残念な気持ちになります。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



嘆き(イメージ)