手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

垣 根

浄土真宗を誤解してしまうと、私たちはどうせ凡夫だからと言って、いつも如来様と私との間に隔てを置いて、こちらからご尊敬申し上げているだけになります。如来様をご尊敬なんかしているのは他力の信心とは違います。如来様の心と私の心が溶け合うことが信心です。
【『歎異抄』第十四条 念仏申さずしてをはるとも 大峯 顕 百華苑 P69より】



『ある日、庄松さんが富田村の菊蔵さんとふたり連れだって三本松の勝覚寺さんにお詣りをした。
すると庄松さんは本堂にあがるなり、
「ああ、疲れた、疲れた」といって、仏様にお礼もせずに、畳の上に寝ころんだ。
それを見た菊蔵さんが、
「これこれ、庄松さん、何ということかいな御仏前に寝ころんで、ご無礼なことを・・・」ととがめると、
庄松さんはニコニコして、
「何をいう親の家じゃ、遠慮にはおよばん」と返答した』
【庄松ありのままの記より】


妙好人 庄松さんの話を思い出しました。
この庄松さんの言動には、阿弥陀さまとの間に垣根はありません。つまり、如来様の心と庄松さんの心が溶け合っているということですね。
遠慮なしに阿弥陀さまにおまかせ、そこに垣根はありません。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏