手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

生かされている命

私たちは自分に都合のいいことは当たり前だと引き受けて、都合の悪いことが起こると引き受けられずにあわてるわけです。もし今朝、目があいて足腰が動いたということが当たり前であるならば、朝、目があいて足腰が動かなくなる日のくるのも当たり前のことです。生身の体をもっているわけですから、それは当たり前です。また逆に、もし足腰が動かなくなることが大変なことであるなら、今朝目があいて、足腰が動いたことも、じつは大変なことだといわなければなりません。どうしてかといいますと、本当は、私たちの頭では考えきれないほどの多くのご縁をいただいて、今朝足腰が動いているわけです。なにか一つでも条件が欠けたら、いつでも足腰が動かなくなってしまうのです。
【縁起に生きる 小川一乗  法蔵館  P180,P181より】



足腰が動くことひとつをとっても、色々なご縁を頂いていることは、ちょっと考えてみれば頷けます。自分の意志でこの世に生まれてきた、というひとはいません。
自死は論外ですが、自分の死をコントロールすることもできません。長生きといっても限界があります。
こう考えてみますと、わたしの命は、「生かされている命」というほかにいうことはできないでしょう。
今日も南無阿弥陀仏