手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

信心の世界

 妙好人の浅原才市(あさはらさいち)さんのお言葉に、こういうものがあります。


ご恩思えばみなご恩(中略)
この才市もご恩でできました
なむあみだぶつ なむあみだぶつ


 この言葉を読んだときに、たいへん僭越だけれども、才市さんは本物の念仏者だと思いました。才市さんはご縁をご恩と深く味わっています。ところが、釈尊から「数限りないほどの因縁(ご縁)が私となってくださっている」というご説法を聞いた大乗の菩薩たちは、もっとすごい味わい方をしたんです。「数限りないほどの仏さまたちが私となってくださっている。なんとすばらしいことだろう」と受け止めて喜んだという。これは信心の世界です。
 浅原才市さんはそれをご恩といただいた。「ご恩思えばみなご恩」、都合のいいものも都合の悪いものも、思い通りにならないものも、みんなご恩でありました、という。   (略)
 そして、その次の言葉、「この才市もご恩でできました」。これがすごいですね。もしここで、「この才市もご恩をいただいて生かされております」と言ったら、三流の念仏者になるんです。まちがいではないけれども、レベルがダウンする。ところが「この才市もご恩でできました」という、これは本物の念仏者です。
 その後に「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と念仏が出る。これがまたすごい。念仏をいただくことによっていのちのあり方に目ざめさせてもらう。そういう世界が念仏を通して明らかになる。そうして開かれた世界には念仏に対する深い感謝が満ちています。
仏道としての念仏 小川 一乗 法蔵館  P28~P30より】



才市さんの仏恩報謝の表現(味わい)は、一歩進んでいるといいますか、より深堀されています。ピュアといった方がよいかもしれません。鋭いセンスのもち主ですね。
今日も南無阿弥陀仏



有り難いな
ご恩思えば みなご恩
これ才市 何がご恩か
へえ
ご恩がありますよ
この才市もご恩でできました
着物もご恩でできました
食べ物もご恩でできました
足に履く履物もご恩でできました
そのほか世界にあるもの
みな ご恩でできました
茶碗
箸までも
ご恩でできました
ひきばまでもご恩でできました
ことごとくみな
なむあみだぶでござります
ご恩うれしやなむあみだぶつ
         (浅原才市)