手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

長寿は幸せか?

 加賀の念仏者で、藤原鉄乗という方がおられます。その方の厳しいお言葉があります。
「いつまでも生きていたい、いつまでも生きていたいと、百歳まで生きても、その人は若死である。いつ死んでもいいと、今日一日を喜んで生きられる人は、いつ死んでも、寿命を全うした人である」
 いつ死んでもよいと、安心して死を引き受けていける命の真実が明らかになったとき、ただ今の命が輝いてくる。この瞬間の命に喜びが生まれてくるのです。ところが、現在の日本人はどうでしょうか。経済大国になって衣食住が豊かになったかわりに、安心して死んでいける命の真実が見えてなくなってしまった。長寿だけが幸せと、盛んに平均寿命の延長に拍手しているわけです。安心して死を引き受けていけなくなっているわけです。
 このように、死がタブー視されている現代だからこそ、仏教がいよいよ人々の救いとならなければならないと言えます。「今、生きている」という喜びに満ちた感動を与えてくれる仏教こそが、今、切実に必要とされている時代ではないでしょうか。
【いのちの尊さ 小川一乗 著 法蔵館 P51,P52より】



「いつ死んでもよいと、安心して死を引き受けていける命の真実が明らかになったとき、ただ今の命が輝いてくる。この瞬間の命に喜びが生まれてくるのです」
そういう心境の方は、果たしてどれくらいいるのでしょうか?
ただ今の命が輝いているひと、言い換えれば、「南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされたひと」ということです。
南無阿弥陀仏のひと」は長寿であろうがなかろうが、幸せ者です。
なぜなら、長寿を飛び越して、永遠の命を賜ったひとだからです。
今日もなむあみだぶつ。