手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

予定概念

 私には、私の作り上げた小さな予定概念があります。そして、その小さな予定概念に合わないと腹を立て、怒ります。そして、なんとかそれに合せようとします。私が、そこで気づかされたことは、「ああこれなんだあ」ということです。私が自分で勝手に小さな予定概念を作り上げ、小さな粋を作り上げて、それに当てはまらないと腹を立て、怒り狂う。しばらくインドを離れている間に、私はなんと小さな人間になってしまっていたのだろうと気づかされたのです。
 お互いに人間同士という広い世界で一生懸命に付き合っていくと、そこには怒りとかイライラがない。にっこりと笑える世界がある。そのような大きな大地を私は見失って、自分の小さな知恵で一つの粋を作り上げ、それに執着して、その粋どおりにならないと腹を立て、イライラして、自分で自分の身をいため、自分で一人相撲をやっていたんだということを、その体験から気づかされました。
【縁起に生きる 小川一乗  法蔵館  P155,P156より】



筆者は、インド旅行での出来事を通して、「自分は小さい人間である」と気づかされた、と振り返っています。
ここでいわれている内容を
南無阿弥陀仏のはたらきと私」という話に置き換えてみますと、
わたしは、すでに大きな大地(南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに)に立っているにもかかわらず、自分勝手に予定概念(自分の都合やはからい)を作り上げ、その粋の中で「あ〜だ、こ〜だ」と頭をこねくり回している、と解釈できます。
視点を、自分ではなく阿弥陀さまにすると、その世界(自分中心の世界)はガラリと変わります。
今日も南無阿弥陀仏



第62回(2013年度)朝日広告賞 部門賞(近畿大学)より