手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

阿弥陀さまが私に合わせてくれる

 

日頃は、これは悪いとか良いとかと言って生きている私たちです。「日ごろのこころ」というのは、何ごとにつけ、良いとか悪いとか言っている心のことです。こちらが良い、あちらは悪い、あんなことはしてはいけない、これをする方が良いと思う。そういうのが、われわれの「日ごろのこころ」であります。われわれは毎日、良し悪しのはからいによって生きているんです。そういう心で生きていますから、つい、如来さまのお助けのことでも、やっぱりこうした方が如来さまも助けやすいだろうとか、このままではいくら如来さまでも助けにくかろうとか、そういうふうに思ってしまいがちです。つまり、如来さまにも良いように見られたいと思うのです。如来さまが助けやすいようにしようという身のほど知らずな心をもって、生きているのです。こんな私だったらとても如来さまでも無理だろうといって如来さまのお助けについて、はからいをするのです。

【『歎異抄』第十六条 宗教的回心 大峯 顯  百華苑 P11、P12より】

 

f:id:tarou310:20210912162441p:plain

私が、阿弥陀さまのお助けに合わせるのではありません。それ以前に(阿弥陀さまのお助けに)合わせられるはずがありません。自惚れもいいところです。阿弥陀さまが、私に合わせてくれるのでした。ですので、私の計らいは不要なのです〜。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

f:id:tarou310:20211109173111j:plain