手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

お念仏は交流です!

私は子どもの頃のことを、覚えていますが、まだ小学生の頃、門徒の人が庫裏へ用事があって来られて、帰る時「ちょっと本堂にお礼をさせていただきます」と言って帰られたことがよくありました。お礼ということはサンキューでしょ。いただいたものに対してありがとうございますと言うことです。親鸞聖人も蓮如上人も、念仏はいつでも仏恩報尽の念仏だとおっしゃっているのはこのことです。如来様の方から先に「助けるぞ」と言ってくださっているのが南無阿弥陀仏です。それを私どもの方からいえば、「ありがとうございます。どうぞお助け下さいませ」という報謝のお念仏でありますから、そこに如来と凡夫の間に交流があると言えましょう。お念仏は交流です。近頃はこの交流がだんだん少なくなって、どこかよそよそしくなってきたように思われます。むかしの凡夫は私に融けてきたのに、この頃の凡夫はしらじらすましかえっている。これじゃあ助けようにも助け様がない(笑)、と如来様は思われるかもしれませんね。
【『歎異抄』第九条 なごりをしくおもへども 大峯 顕 百華苑 P35、P36より】



「お念仏は交流です!」という表現いいですね。
お念仏(南無阿弥陀仏)が、阿弥陀さまと私の交流の言葉となればしめたものです(笑)
一方的なお念仏(南無阿弥陀仏)は寂しいですね。やはり、阿弥陀さまのお慈悲を感じて称えるお念仏(南無阿弥陀仏)は格別です。「南無阿弥陀仏」をもって阿弥陀さまとコミュニュケーションがとれるということです。阿弥陀さまは身近な存在なのでした。それは、私の口からこぼれる「南無阿弥陀仏」というお念仏が如実に物語っています。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



交流(イメージ)