手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

他力とは

Q: 浄土真宗でいう他力とは、努力を否定しているのですか?


 親鸞聖人は、私たちの行為を決して否定しているわけではありません。むしろ親鸞聖人は、阿弥陀如来が「どんなときでもあなたのそばにいるから、精一杯生きなさい」と励まし、支えてくださる「南無阿弥陀仏」のよび声を聞き、力一杯いきいきと歩む道を示してくださっています。
 目標を立てることや努力すること、生活の行為を「自力」であるから、自分がなすすべての行為をあきらめてしまう教えが浄土真宗であると誤解しているかも知れません。しかし、それは親鸞聖人が説かれた教えではありません。自分の身体を頼りにし、自分の知識や価値観をよりどころにし、自分の行ったことをあてにして、仏に成ろうとする生き方をいいます。それに対し他力とは、私たちを仏さまにさせる阿弥陀如来のはたらきをいいます。自力と他力は、成仏という視点から考える必要があります。
【仏事Q&A  前田 壽雄 国書刊行会 P144、P145より】


【他力本願】 たりき‐ほんがん〔‐ホングワン〕
1 《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。
2 《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。
【デジタル大辞泉より】



残念ながら、「他力本願」といえば、人まかせ的な使われ方が汎用しています。
デジタル大辞泉によりますと、誤用が定着したものか?!と解説されています。
ここでも述べられていますように、
他力とは、私たちを仏さまにさせる阿弥陀如来のはたらき、のことをいいます。
他力(本願)は、成仏という視点から考えなければなりません。
今日も 生かされて 南無阿弥陀仏