手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

浄土真宗の信心

「信心、信心」といっても、浄土真宗の信心は、一般の人々が考えているような、自分でつくりあげる、自分で信じようとする信心ではありません。それは如来より与えられた信心、つまり如来の真実心をいただいた信心をいうのです。信心を如来さまからいただき、やれやれこれからの生涯は安心・安堵の生活をさせてもらうという私の人生のよりどころをいただくから、蓮如は信心とは安き心、安心(あんじん)であるとおきかえて使っています。こんなところにも、蓮如の教化の工夫がありました。
蓮如 その教えと生き方 響流選書 早島鏡正より】



念仏(南無阿弥陀仏)中心の生活には、安心・安堵があります。自分自身をあて力にしたところに本当の安心はありません。それは、私(自分)は不安定なものだからです。そのことは、個々人で薄々気付いているのではないでしょうか。「自分を信じる」という言葉がありますが、生死問題を語る上では、全く意味をなしません。拠りどころは阿弥陀さま。これに限ります。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



「壽福寺だより」より
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