手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

拠りどころ

普通、私どもは自分の判断でことに対処するといいます。自分の判断とはしょせんそれは知識によるものですから、自分でよいとか悪いとかいうのも、結局とらわれになってしまいます。ところがそうではなくて、すべて阿弥陀仏に立ち戻って考えるということは、分別を超えた智慧の立場にたって、われわれの行住坐臥の考え方がなされるべきであるというのです。つまりいかなることにもとらわれを離れることが、念仏に立ち戻ることにほかなりません。念仏者は南無阿弥陀仏というよりどころをもつが、それは分別というよりどころではなくて、分別を超えさせるよりどころなのです。
蓮如 その教えと生き方 響流選書 早島鏡正より】



南無阿弥陀仏という拠りどころをもっての生活には安心と張りがあります。崩れ去るものを拠りどころにしての人生には明るい未来はありません。
私の計らいを超越したものには、その超越したものに、ただおまかせあるのみです。生きてよし、死んでよし。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏