手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

願生心

お浄土に生まれたいという願いだけは、個人を超えた願いです。
個人を超えたと言っても、個人と関係がないということではありません。個人の根底を流れているいのちそのものの願いです。その願いを私たちはどんなことがあっても離れることはできないんです。
お浄土に生まれたいなんていう願いは私たちにないように思っておりますけど、実はあるのです。


それを見つけて下さった方のことを法蔵菩薩と申し上げるのです。
その法蔵菩薩の成仏した姿である阿弥陀如来の言葉を聞いて、私たちは初めて「ああそうだったな」とわからしてもらうんです。
自分の力では決してわからない自分自身の本当の願いがわかる。それを親鸞聖人は、願生心は如来様が下さるんだと言われたのです。
至心も信楽も欲生も、つまり、まことの心も、仏様を信じる心も、お浄土に生まれたいと願う願生の心も、みんな如来さまがナンマンダブツの名号の中に込めて私に下さってある、これを他力の回向というのです。
【自然の道理 『歎異抄』第十条 大峯 顕 百華苑 P31より】


【手品師コメント】
自分自らが仏法を求めているように思いますが、実は違うのですね。
なにもかも阿弥陀さまのおはからいなのです。
まことにありがたいことです。
なむあみだぶつ。