手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

真実信心

信心を本当に決定した方は、みな静かな方ばかりです。如来智慧に生かされていらっしゃるから、熱狂的なところはすこしもありません。
そういうところがあるのは、如来の智をいただいてないからでしょう。熱狂したり興奮している宗教はどこか疑いが残っていますが、本当の信心をいただいた方は静かです。
外から見ただけでは、その人が宗教を持っているようには見えないのが本当の宗教心です。
どこか信心くさいところがあったら、みんなこしらえたものなのです。
浄土真宗の信者は、外から見たら信心があるのかないのかわからないというのが本当です。
真実信心はその人が作った信心でないからです。信心ぶったところがあるのはどこかおかしいのです。いかにも私はお念仏していますと言って、どこか特別な人に見えるのは、自分が信じているという自己意識が信心にくっついているからです。
そんな自己意識がない人が、本当に他力を信じ、如来さまの智慧をいただいた人です。
信心は自分の功績でないから、どこまでも自然であります。
【招喚する真理 正像末和讃を読む 下  大峯 顕 本願寺出版社 P104,P105より】


【手品師コメント】
信心は阿弥陀さまから賜るのであって、自分でこしらえるのではありません。
親鸞聖人は本願力回向と教えて下さいます。なむあみだぶつ。