手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

まいらせごころ

 第十八願の行者も第二十願の行者も、ともに他の行をさしおいてお念仏を申されています。念仏の法に遇うている行者であります。
 同じようにお念仏に遇いながら、一方は往生決定し、一方は往生不定だと、ちがいが出てくるのは、どうしてでしょうか。それは、他力の法に自分の心をさしはさむからでありましょう。
 蓮如上人は、それを「まいらせごころ」といましめられています。凡夫のはからいの手をさしはさむからであります。そこに「遇いながら遇うていない、舟に乗りながら舟を疑っている」悲しみがあります。
【『安心決定鈔』法話 瓜生津 隆雄 著 P83,P84より】



 すでに届いている南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かせて頂くか否かは、大きな分かれ道です。
 ここで、
『遇いながら遇うていない、舟に乗りながら舟を疑っている』といわれています。
 そのことを、
才市さんは以下のような詩でうまく表現されています。さすが才市さん!(拍手:パチパチ)


助かることはそりゃ無理よ
助けてあることのなむあみだぶつ
           (浅原才市)


聞いて助かるじゃない
助けてあるをいただくばかり
この才市もな、そうであります 
ありがとうござります
なむあみだぶつなむあみだぶつ
           (浅原才市)


浅原才市(あさはら さいち)
1850年嘉永3年)2月20日 - 1932年(昭和7年)1月17日)は、浄土真宗妙好人のひとり。石見の才市と呼ばれる。
石見国大浜村字小浜(現島根県大田市温泉津町小浜)に浅原要四郎(加島屋)と浅原すぎ(原田屋)の子として生まれる。
要四郎は両親の死後、6歳で寺に入り、得度して西教と称した。要四郎は、才市ができてからも、寺に通って役僧をしていたという。才市は、晩年を下駄職人として過ごした。
ウィキペディアより


【再掲載】