『歎異抄』第九条に出てくる親鸞と唯円との有名な問答は、浄土真宗における「生死即涅槃」の経験が鮮烈に語られている場合の一つだと言えます。本当に仏の救いに任せている信心の人は、浄土参りが嬉しくなくとも一向に構わず、嬉しくないままで仏の命に生かされているわけです。讃岐の庄松という信者が臨終の床で、浄土参りを喜んでいるかと尋ねられたとき、「喜びどころか苦しくて居られぬは」と答えたという話にも、そういう生死即涅槃の消息がよく表れています(『庄松言行録』)
【命ひとつ―よく生きるヒント 大峯あきら 小学館 P181より】
讃岐の庄松
真宗興正派 海暁閣 勝覚寺(妙好人 庄松同行ゆかりの寺)より
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