手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

阿弥陀さまの救いとは

生き物が光ってみえた、
疎遠になっていた人に頭が下げられた、などなど
このような神秘体験等をはじめとした事象は、阿弥陀さまの救いとは全く関係はありません。
その自分の体験を、阿弥陀さまの救いに結びつけても意味がありません。
自分の都合、思い込みほど当てにならないものはありません


法然聖人は、善導大師の三心釈を引用され、以下のように教えて下さいます。


深心とは、深く信ずるこころをいう。まさに知るべし、生死の家(迷いの世界)にとどまるのは本願を疑うからであり、涅槃の城(さとりの世界)に入るのは本願を信じるからである。   浄土真宗聖典 七祖篇:註釈版 1284頁取意)


ここで、
「本願を疑うか信ずるか」が衆生の迷悟の差となると決判されています。
つまり、
阿弥陀さまに救われたかどうかは、「信疑決判によってのみ判断できる」ということです。
平たく言えば、
阿弥陀さまに救われたかどうかは、南無阿弥陀仏のおはたらきに気づくか否か、ということです。
親鸞聖人は、
「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」と実に明解にお示しくださいます。
今日も南無阿弥陀仏