手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

他力本願とは

 今日、他力本願という言葉が、たいへん誤解を招いていますけれども、本当に頼るべきものに頼って生きる人生と、頼るべきでないもの、頼りにならないものに頼って生きる人生には、大きな隔たりがあることを知らせていただくことが大切です。
 他力本願とは、阿弥陀如来のご本願にすべてをおまかせするということです。普通は「私が阿弥陀如来を信ずる」と言いますが、「私が信じている」という思いは、実は、本当の頼りとなるものではありません。そういう私の思いやこころというものをも超えた、阿弥陀如来の本当のおこころのみが、真実の拠りどころとなるというところに、他力の信心の本当の意味があるのだと思います。
 最後に、親鸞聖人の『高僧和讃』を拝読して、そのことを味わわせていただきたいと思います。このご和讃は、七高僧のお一人、中国の善導大師を讃えていらっしゃるものの一首です。


煩悩具足と信知して
 本願力に乗ずれば
 すなはち穢身すてはてて
 法性常楽証せしむ


 ちょっと、専門的な言葉が続いていますので、意訳すると、「私は、ただ煩悩具足の凡夫であると自覚し、このような者を救ってくださるのは、阿弥陀如来よりほかにないと、ひたすら本願力におまかせすれば、煩悩にまみれたこの身を捨てはてて、常楽涅槃のさとりを開かせてもらうのである」、つまり、頼るべきものを持たぬ私が、真実の阿弥陀如来のご本願におまかせして、救われていくのである、ということです。その阿弥陀如来のご本願の尊さを讃えていらっしゃるのが、このご和讃であります。
【すくいとよろこび 大谷光真 本願寺出版社 P43,P44より】



【ちょっとひとやすみ】
たりき‐ほんがん〔‐ホングワン〕【他力本願】
1 《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。

2 《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。
【国語辞典(大辞泉)より 】



「他力本願」という言葉、
正しく使って頂きたいものです。
(2のような、誤用が定着した使用はダメダメですね)

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