手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

浄土真宗と他宗教との大きな違い(その2)

一般に用いられる確信的な信をだれしも信心とか信仰といわれる。この確信的な信は全く疑いの反語である。
しかし、宗祖の上では一般の常識的に考えられている確信が疑の領域に属するのである。
というのは自力の信心のことをいうからである。
自力の信心が宗教一般の常識である。
【他力の信心はawakeか  稲城選恵 著 永田文昌堂P37より】


※【確信】
[名](スル)固く信じて疑わないこと。また、固い信念。「勝利を―する」「―をもって言う」
デジタル大辞泉の解説より)


【手品師コメント】
浄土真宗の信心は、「確信する」必要はありません。
『聞こえたままが信心』だからです。
「確信する」という言葉は、あくまでも「私が確信する」のであって、「私が」が主語になってしまいます。自分中心の言葉です。
浄土真宗においては、「阿弥陀さまから賜る信心」といわれますように「阿弥陀さま」が主語です。方向がまったく逆なのです。
ここに、浄土真宗と他宗教との間に大きな違いがあるのです。


浄土真宗と他宗教との大きな違い(祈るのではない)
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