手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

ただおまかせ

親鸞は罪業からの解脱を説かぬ、即ち因果の繋縛からの自由を説かぬ。それはこの存在―現世的・相関的・業苦的存在をそのままにして、弥陀の絶対的本願力のはたらきに一切をまかせるというのである。そうしてここに弥陀なる絶対者と親鸞一人との関係を体認するのである。絶対者の大悲は、善悪是非を超越するのであるから、こちらからの小さき思量、小さき善悪の行為などでは、それに到達すべくもないのである。ただこの身の所有と考えられるあらゆるものを、捨てようとも留保しようとも思わず、自然法爾にして大悲の光被を受けるのである。これが日本的霊性の上における神ながらの自覚にほかならぬのである。
【日本的霊性 鈴木大拙より】
※日本的霊性≒日本的宗教意識



阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきによって、この身このまま救われる、ということです。わたしの思いや計らいをもってして救いをあてにしても無意味です。阿弥陀さまに、ただおまかせ、あるのみです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



Portrait of a young, attractive woman watching a sunset