手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

「ただ信心を要とす」とは、どういうことか

「ただ信心を要とす」ということは、どうする必要もない、どうする必要もなかった、このままでよかったことに気づくだけだ、ということになります。どうする必要もなかった。このままの救い。無条件の救いということです。無条件である。どうする必要もない。そのことに気づくだけだということなんです。「どうする必要もなかった」ということにハッと気づく。ただ気づけばいい。「気づく」というのが信心。「自覚」というと、かえって分からなくなりますね。自分が何か知らないかんと思っちゃうからね。
歎異抄講述・聞書(2)鶴田義光 響流書房より】



例えば、
この箱の中は見ないように!といわれれば、どうしても箱の中身が気になり、中を見たくなるが心情です。同様に、阿弥陀さまの救いは、このままの救いだから、あるいは、無条件の救いだから、なにもせんでもいいよ!といわれますと、かえって(自分の力で)何とかしたくなってしまうのでしょう。
といいましても、(自分の力で)何とかして(阿弥陀さまに)救われるというものではありません。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏であって、それ以上でもそれ以下でもありません。
わたしの、なんの、計らいも・思いも・理屈も必要はありません。
ただ、南無阿弥陀仏 なのでした。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



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