手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

有り難い(仏法に出遇えていること)

 ある時、お釈迦さまは、大地の砂を手にすくい、弟子たちに質問されました。
「この手のひらの砂の数と大地の砂の数は、どちらが多いでしょう」
 弟子は答えました。
「もちろん大地の砂の方が多いです」
するとお釈迦さまは、静かにうなずかれて、
「その通りです。この世の中に生きているものは大地の砂の数くらいにたくさんいるけれど、人間としていのちを恵まれるものは、手のひらの砂の数ほどのわずかなものだよ」
 と、おっしゃいました。そして、今度は手のひらの砂を指の爪(つめ)ですくい、重ねて質問されました。
「手のひらの砂の数と、指の爪の上の砂の数は、どちらが多いでしょう」
 弟子は答えました。
「もちろん手のひらの砂の数の方が多いです。指の爪の上の砂の数は、ほんのわずかです」
 するとお釈迦さまは、深くうなずかれて、
「その通りです。同じ人間として命に恵まれながら、仏の教えに出あえるもの、ほんの爪の上の砂の数くらいしかいないのです。だからこそ、人間としていのちを恵まれ、仏法に出あえたことを大切にしなければなりません」
 と言われたということです。
 人間としていのちを恵まれ、また仏法に出あえたことは、実は奇跡的(きせきてき)なことなのです。滅多(めった)に起こることのない「有ることが難しい」こと、つまり、「有り難い」ことなのです。
【13歳からの仏教 龍谷総合学園 編  本願寺出版 P62~P64より】



人間として命を恵まれ、さらに、仏法に出遇うことの有り難さ(難しさ)を「爪の上の砂」の喩えで教えて頂きました。私はといいますと、自分の意思(実際は違いますが)で、当たり前のように生きています。
よくよく考えてみますと、阿弥陀さまに生かされ仏法を聞かさせて頂いているのです。意識していきたい、と思います。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



Buddha under the Bodhi tree