手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

阿弥陀さまに ただおまかせ

私共の信心は、浄土に望めて起すのではありません。本願に望めて安堵するのです。私共はただ本願に乗托するばかりです。往生は仏の方より、願力の不思議として、決定せしめて下さるのです。たとえば、京都から東京へ行く場合に、東京へ早く行きたいと思ういっぱいで、汽車に乗り込まなかったら、いつまでたっても、東京へは行けません。だから、京都の駅に出たら、東京のことを思う心をしばらく止めて、汽車のことを先ず考えねばなりません。発車時刻におくれないように乗り込みさえすれば、自分が東京へ行こうと思う心がどれほどせつなくとも、遅く着くこともありません。まったく汽車の力にまかせ、その誓い一つによって、東京へ行くことが出来るのです。いま願力に往生をまかせるとは、この汽車に乗ったような味わいです。宗祖(親鸞聖人)も、「ただ不思議と信じつる上は、とかく御計らいあるべからず」と仰せられていますから、わが胸をながめて、とやかく思うのは、みな計らいで、自分病気の除かないことと思うて、ひとすじに如来の願力にまかせたてまつるべきです。
【安心座談 加茂仰順 著 百華苑 P94より】



阿弥陀さまに、ただおまかせ、です。
これほど楽なことはありません。わたしはというと、「南無阿弥陀仏」と報恩感謝のお念仏を称えさせて頂くだけです。
この文章を拝読しまして、
6年前に記載した「味わい(電車編)」を思い出しました。
なにか通じ合うものがあります。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏


味わい(電車編)
http://d.hatena.ne.jp/tarou310/20100412



安堵(イメージ)